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IPA日本支部

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IPA日本支部の活動

1)国内、海外の子どもの遊びに関わる情報の収集と提供

  • 子どもの遊びがどうなっているか
  • どこに、どんな子どもの遊びに関わるグループ活動があるか
  • それらのグループ活動の内容や悩みは何かなど
  • 今の子どもたちの問題をどう見るか
  • 子どもの遊び、生活に関わる研究論文や著作物など
  • IPA本部発行・機関誌「Play Rights」の「日本語翻訳版プレイライツ」の発行
  • 日本支部独自の情報誌「ニューズレター」の発行
     上記のような情報や意見などをまとめたものを、必要に応じて発行します。

2)日本支部会員が関与する各種行事等の報知

 ・勉強会、研究会、シンポジウム、交流集会などの開催。
 ・地域の会員が集まったり、海外の会員や研究者の来訪などの機会を捉えて、大小さまざまな学習
  会やシンポジウムなどを開催します。また、3年毎に世界大会を開催します。

 3)一般社会や行政へ向けて子どもの遊びに関する諸種の提言をします。

 子どもの遊びや遊びの環境の改善に向けて研究したり実践している会員たちの考えや成果を広く知らせて、実効があるものにしていくために努力します。

会員が発行する出版物の紹介

その他、海外支部、海外会員との交流など

 IPA日本支部の会員には、遊び場活動実践者、各種教育者、子どもの遊び・成長・発達に関する大学等の研究室・研究者、都市計画研究者・設計者、公園設計者、環境具研究者・設計者など、子どもの遊び・環境・環具に関する専門家たちが在籍しています。

機関誌・発行物

「Play Rights magazine」IPA本部機関誌(英語版) 世界各国の遊びに関わる情報を載せている
「プレイライツマガジン(日本語版)」IPA本部機関誌「PlayRights magazine」の日本語翻訳版
日本支部「ニューズレター」主としてIPA日本支部の会員の情報交換を目的にした日本支部機関誌
不定期に発行







歴史・あゆみ


1960年代、東京の交通事情の悪化と、遊び場の貧困
 1960年代後半の東京はオリンピック開催(1964)の影響もあったためか、「出るな、歩くな、家にいろ」という交通標語がまかり通るほど交通事情が悪化していた。東北地方から上京し、子育てを始めた大村璋子は、近くにできた児童公園も日当りが悪いうえに狭く、スベリ台と鉄棒しかなく子どもはすぐ飽きてしまった。そんなときに「都市の遊び場」(アレン卿夫人著、大村虔一、大村璋子訳、鹿島出版)に出会い、翻訳、出版した。その後で自分の目でヨーロッパの遊び場を確かめようと思い、出かけた。

1975年、大村夫妻を中心に世田谷区経堂で「子ども天国」の活動が始まる

 ヨーロッパの遊び場を回り、写真におさめて来た大村夫妻が、機会あるごとに回りの親立ちにそれらの写真を見せて話をした。それまで何となく東京での子育てに不安を抱いていた人たちはそれを見てはっきり現状を認識したようだった。近くにドブを埋め立てたまま放置してある場所を見つけ、区役所と交渉して、緑道として整備に取りかかるまでの期間、夏休みだけという条件でここを借りて「子ども天国」を開いた。  そこで2年間、夏休みだけの活動をしたあと、桜ヶ丘の区民センター予定地で15ヶ月間毎日「冒険遊び場」を開いた。

1979年、国際児童年記念事業として、羽根木公園にプレーパーク誕生

 上記のような経過は「子どもの声はずむまち」(大村璋子著、ぎょうせい)、「冒険遊び場がやってきた」(羽根木プレーパークの会編、晶文社)に詳しい。

1979年、IPA日本支部誕生

 1979年に、日本の各地にいるIPA会員と冒険遊び場に関わる人たちが集まってIPA事務局長のオッター女史を招いて講演会を開き、これを契機に日本の遊びの状況の改善に向けて多くの力を結集させる必要性を認めて、IPA日本支部を発足させた。初代代表は大村璋子。

1990年6月3日~8日、第11回IPA世界大会を東京で開催

 テーマは「遊びと教育」
 海外から150名、国内から350名の参加があった。

1990年12月、日本支部代表交代

 日本に冒険遊び場を導入し、IPA日本支部の設立、その後11年間支部代表を務めた大村璋子に代わって、名古屋で子どもたちに天白公園の自然を残そうという運動をしていた奥田陸子が選ばれた。

1998年7月、日本でIPAアジア・太平洋地域交流集会開催

 メイン会場は福岡市。名古屋でもワークショップ、スタデイビジット、シンポジウムなどを開催。
 現在に至る。